石炭、薪割、新聞紙
父親に叱られたのは3度。
そのうちの1回は小学生の時、スキー場の山小屋でやらかしたことが原因だ。
その日、友だち3人と一緒にぶらぶらと遊んでいたのだが、特にやることもなくなり自然とスキー場に足が向いていた。スキー場と言っても地主の方の好意で冬の間に開放しているらしくリフトなどの設備の無い山だった。自宅から近いこともありスキーを履いて通ったこともある。唯一の設備が小さな山小屋。休憩所として使われており、20人も入れただろうか。
暖房として石炭ストーブがあり、当然のことながら壁際には石炭が積まれていた。
スキーシーズンはほぼ終わっており滑っている人は誰もいなかった。山小屋の利用者もなく、自分たち4人がいるだけ。「寒いよな。ストーブ使えないのかな」と誰かの呟きに反応してしまった。手際よくストーブの中に石炭をくべて、その上に薪を積み、最後に新聞紙を置いてマッチで火を点けた。一通り揃っていたのが運の尽きだったかもしれない。そんなことには思い浮かぶ由もなく、得意気に石炭ストーブを点けてみせた。友だちから賞賛の言葉があったかどうかは覚えていないが、石炭ストーブを点けることができたのは自分だけだったのは間違いない。
長居するつもりもなかったので石炭は少しだけにしていた。燃え尽きたら家に帰ろうということで、しばらくおしゃべりをしていた。やがてストーブの火が消えたことを確認して帰路についた。帰宅してその日のできごとを話していたら・・・突然、雷⚡が落ちた。
一瞬、何のことか理解できなかったが、父親に連れられて再度スキー場の山小屋に行くことになった。その道中、しっかりと絞られることになったが、それでも自分は悪くないと思っていたかもしれない。山小屋に着いて石炭ストーブを確認するとすっかり火が消えていた。が、父親は石炭ストーブのかまの中に雪を入れだした。
「こうやって火を消すんだ。誰も人がいなくなってまた燃え出したら火事になるだろ!」
普段は寡黙な父親が怒鳴ったのだからショックだった。かなり強烈に覚えている。
当時、我が家の暖房は石油ストーブだったが、なぜかお風呂だけは石炭で沸かしていた。
お風呂を沸かすことは子どもが手伝う家事のひとつ。食事の片づけと並んでとても重要なことだった。石炭に火を点けるには時間がかかるから薪を使う、その薪に着火するために古新聞を使う、毎日のことだからマッチの使い方も手慣れたことだった。必要に応じて石炭をくべていた。翌朝には石炭ガラを取り出して土の上に撒いていた。普段やっていることなので山小屋で石炭ストーブを点けることなど造作もないことだった。
が、自宅外というか外での石油ストーブはその日が初めてだった。
あの日以来、不用意なことはしないと決めたのだった。
薪割も重要な仕事だった。お風呂のかまに入らない大きさだったので斧を使って小さく割っていた。毎日ある仕事ではなかったものの手際よく割っていかないといつまでたっても終わらない。その薪は自宅の外に野積みしていたが、今思うと…恐ろしい。
暖房用の灯油と風呂沸かし用の石炭は街の燃料店から買っていたようだったが、薪はどこから手に入れていたのだろうか?
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