2022年7月31日 (日)

ニフティーサーブ加入編

ニフティーサーブ加入大作戦を決行したのは大学生のとき。

まずはパソコン。

パソコン通信なのだからこれがないと始まらない。
当時、すでに98ノートが発売されており、3代目のNS/Eが出た頃だったと思う。
学生として狙いを定めたのが2代目の中古だ。具体的にはNSもしくはNV。

一方、仲間うちでは98ノート派、ダイナブック派、エプソン互換機派がいて、アドバイスをくれる友人もいれば持論を展開するだけの人もいた。

大学の中ではもっぱらパソコンかワープロかの議論だったのを覚えている。文系だったせいか、パソコン派は少数で、どのメーカーのパソコンにするのかは話題にはならず、卒論を書くために便利なワープロはどれか、だった。

筆者の場合、少し先の卒論対策はさておいてパソコン通信が本来の目的。
ワープロ論争には目もくれず、パソコンの機種選定に勤しんだ次第。

結論としては98ノートNVに的を絞り、秋葉原電気街に出かけた。

最初に入った中古店で運よくNVを見つけたが、そう簡単に決心はつかず別の店舗にも足を運び価格や状態を見比べるのに時間を費やした。結果的には最初の店舗に戻って意を決して購入したのだが、店員から「さっき来てた坊やだ」みたいに声をかけられて赤面した。

この時大変だと思ったのは十数万円の大金を持参していたこと。クレジットカードなど持っていないし、店舗によってはクレジット払いだと手数料分が上乗せされていた。できるだけ安価に購入したいという思いと早いところ購入してさっさと帰宅したい思いが交錯していたと思う。

次はモデムだ。

パソコンと一緒に購入するという発想が無かったらしい。(笑)
雑誌広告で見つけた新小岩駅前のショップに出かけた。当時のメインストリームは1200bpsのモデム。今どきに表現すると1.2kbpsって信じられないほどの低速度。文字中心のパソコン通信ではこれで成立していたのだ。その後、幾度となくモデムをグレードアップしたが、初めてのモデムはオムロンの白い箱だった。

自分として最難関と感じていたのが電話回線だ。

学生時代はトイレ共用・風呂なしのアパートに住み、ピンクの公衆電話を居住者で共用していた。
ピンクの公衆電話は普通に電話番号を持っており、居住者の家族や友人から電話がかかってきた。
筆者はピンクの公衆電話から近い位置の部屋にいたので、電話を取り次ぐことが多かった。

その電話回線を使わせてもらうわけにはいかず、自室に回線を敷設する必要がある。
厄介だったのは72,800円もする施設設置負担金。いわゆる電話加入権だ。
そして毎月の基本料、うろ覚えだが1,550円だったか。調べてみると出身地より毎月200円ほど割高だった。

電話加入権を売買する業者を利用すれば安価にできたのかもしれないが、そんな知識もなく、たまたま通りがかった新宿の駅ビルの電気店で見つけた「72,000円」を選択した。なぜ800円の割引だったのかは謎だが、学生時分としては少しでも安くできて喜んでいた。

大金をはたいて電話回線を用意したことに父親はいぶかし気だったが、もしかすると母親は喜んでいたのかもしれない。

最後はニフティーサーブへの加入。

満を持しての加入手続きで迷ったのが支払方法。と言ってもほとんど記憶の彼方なのだが、結論としてはクレジットカード支払いを選び、そのためだけに基本料無料のクレジットカードを渋谷で申し込んだのを覚えている。当時としては未成年のため、審査のため親に連絡が入った。

父親からの初めての電話が「なんだこれは」だった。
電話回線に続き、クレジットカードの契約となったものだから怪しむのも無理はない。
当時、両親ともクレジットカードは所持しておらず、無用の長物と思っていたかもしれぬ。

まあ、いろいろと説明して渋々承諾してもらったのだが、こういうことは30年以上経過しても忘れられない思い出となっている。

振込や口座引落しは無かったのだろうか。学生なら口座引落しで充分だろうと今なら思うのだが、もしかすると口座引落し手数料が存在していたのかもしれぬ。貧乏学生であれば手数料には敏感になるし、一方、クレジットカードだとポイント制度があったのでその辺りも意思決定要因だったかも。

当時のクレジットカードのポイント制度は1年分を貯めて景品と交換するものだったが、それほどいいものをもらった覚えがない。ま、いいか。

道具や設備がようやく揃った。目的があり、苦労したものは少し怪しいとはいえよく覚えているものだと思った。

いよいよパソコン通信だ!!

 

2022年3月31日 (木)

「これから」の時間

誰にとっても同じように流れゆくものが時間
そう考えるのが普通かもしれない
どの瞬間を切り取っても1時間は誰にでも1時間だ

とは言え、時間への感じ方は人それぞれ
100人いたら100通りの感じ方があると思う

例えば年齢

60歳を迎えた人にとって1年間というのは、その人にとっては人生の60分の1の長さだ
その後、61分の1、62分の1とさらに短くなっていく
若い時と比べると同じ1年間でも感じ方が変わってくるのだ
今後の3年間とか5年間とかおそらくあっという間だろう

この人のお孫さんが5歳だとすると、1年間は人生の5分の1
本人はそんなことすら考えていないだろうが、
おじいちゃんの12倍の時間を手にしていることになる

10歳になるまでに今までの人生の2倍の時間、
20歳になるまでには4倍の時間、60歳だと12倍の時間を要するのだ

途方もない時間を「これから」迎える人にとってはとっても長いと感じるだろう
私自身のことを思い浮かべると、年齢という足し算を続けていくと
大人になっていくということはわかっていたかもしれないが、
どんなふうに時間を感じるのかはピンときていなかった

時間と言われても今まで過ごしてきた時間と、直後の時間くらいしか感じていなかったんだろうと思う
学校へ行く時間、ご飯の時間、遊ぶ時間、お風呂に入る時間、テレビを見る時間、寝る時間、…

どの時点から大人とするかは置いておいて、
大人になるにつれて時間の感じ方というか捉え方が緩慢になってくるようだ
冷めた見方をするようになっているのかもしれない

あるいはワクワク、ドキドキを感じなくなっているのか

私にとって、子どもの時のように時間を感じないでいられるのはウルトラマラソンの大会当日だろうか
朝5時スタートでほぼ1日走っていてよいのだ

体調さえ問題なければ至福の1日だ
「これから」迎える時間を単純に楽しめるぜいたくなひととき

途中にある関門の制限「時間」を除けば、の話だが…

2022年2月27日 (日)

「前夜(桃花鳥)」

高校生の時分、傾倒した楽曲に「前夜」がある。

初めて聴いたのは中学生だったと思うが、曲名には「前夜(桃花鳥)」とあり、桃花鳥には「ニッポニア・ニッポン」とルビが振ってあった。歌詞の中で桃花鳥は「とき」と理解したが、朱鷺の別名であるとは後で知った。

「桃花鳥(とき)が七羽に減ってしまったと…」で始まる歌詞のみならず、ギターの音色に魅せられた。

自分でも弾いてみたいと思いギターブックと睨めっこしながら、カセットテープを何度も繰り返した。

完成度はともかくとして高校2年の頃には一通り弾けるようになった。

弾けるようになると披露したくなるものらしい。

そんな欲望が湧いてくるも、レパートリーはこの1曲だけ。

歌がうまけりゃ、いろいろと誤魔化せるかもしれないが、歌の練習などしていないし、そもそもさだまさしの楽曲はキーが高くて声が出なかったりもする。

人前でギターを弾く機会もなければ、そんな場面に自分からしゃしゃり出る勇気もなく、結局、「前夜」を弾くのも聴くのも自分の部屋の中。

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衝撃的な歌詞がある。

「皆他人事(ひとごと)みたいな顔で人が死ぬ場面を見てる」

これも後日知ったのだが、1980年に起きたイラン・イラク戦争が制作の切っ掛けだったらしい。

収録されているアルバム「夢の轍」の発売が1982年12月、イラン・イラク戦争は8年余り続いたのでまさに真っ只中。

とは言え、ギターに夢中になっていたのは1984年から1985年の頃で、関心事は部活と受験。

いや、受験は気にはなっていたものの部活の練習と、練習が終わった後に聴くさだまさしの曲だけの生活だったかもしれぬ。

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この曲が切っ掛けで朱鷺のことが気になり、大学生の頃に佐渡島に行った。

その時すでに日本産の朱鷺は3羽だったと記憶しているが、「キン」と「ミドリ」の名前しか思い出せないので2羽だったかもしれぬ。

1回目の佐渡島訪問時、佐渡トキ保護センターは今とは異なり山の中にあり、公開もされていなかった。

当時、朱鷺の世話をなさっていた近辻先生にはお世話になった。

2回目には現在の位置に佐渡トキ保護センターが移転しており、「キン」の元気な様子を確認した。

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昨日2月26日(土)のNHK「生さだ」で「前夜」が披露された。

目下のウクライナ情勢を受けての表現者としての対応だろう。

番組名、正しくは「今夜も生でさだまさし」、月に1回くらい土曜日の深夜に放送されている。

4月からは金曜日の深夜になるらしい。

そんなことはともかく、この番組で「前夜」を唄うのは2回目だろうか。

ギター1本での生歌なので、さらに心に染みるではないか。

高校生の自分に伝えたい。

「ほら、さだまさしが生で、ギター1本で前夜を唄っているぞ!!」


【NHKプラスでの配信はこちら】

・配信期限 :2022年3月6日(日) 午前1:05 まで
・「前夜」は76分頃から

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2022022625660?t=4570

2021年12月31日 (金)

石炭、薪割、新聞紙

父親に叱られたのは3度。

そのうちの1回は小学生の時、スキー場の山小屋でやらかしたことが原因だ。

その日、友だち3人と一緒にぶらぶらと遊んでいたのだが、特にやることもなくなり自然とスキー場に足が向いていた。スキー場と言っても地主の方の好意で冬の間に開放しているらしくリフトなどの設備の無い山だった。自宅から近いこともありスキーを履いて通ったこともある。唯一の設備が小さな山小屋。休憩所として使われており、20人も入れただろうか。

暖房として石炭ストーブがあり、当然のことながら壁際には石炭が積まれていた。

スキーシーズンはほぼ終わっており滑っている人は誰もいなかった。山小屋の利用者もなく、自分たち4人がいるだけ。「寒いよな。ストーブ使えないのかな」と誰かの呟きに反応してしまった。手際よくストーブの中に石炭をくべて、その上に薪を積み、最後に新聞紙を置いてマッチで火を点けた。一通り揃っていたのが運の尽きだったかもしれない。そんなことには思い浮かぶ由もなく、得意気に石炭ストーブを点けてみせた。友だちから賞賛の言葉があったかどうかは覚えていないが、石炭ストーブを点けることができたのは自分だけだったのは間違いない。

長居するつもりもなかったので石炭は少しだけにしていた。燃え尽きたら家に帰ろうということで、しばらくおしゃべりをしていた。やがてストーブの火が消えたことを確認して帰路についた。帰宅してその日のできごとを話していたら・・・突然、雷⚡が落ちた。

一瞬、何のことか理解できなかったが、父親に連れられて再度スキー場の山小屋に行くことになった。その道中、しっかりと絞られることになったが、それでも自分は悪くないと思っていたかもしれない。山小屋に着いて石炭ストーブを確認するとすっかり火が消えていた。が、父親は石炭ストーブのかまの中に雪を入れだした。

「こうやって火を消すんだ。誰も人がいなくなってまた燃え出したら火事になるだろ!」

普段は寡黙な父親が怒鳴ったのだからショックだった。かなり強烈に覚えている。


当時、我が家の暖房は石油ストーブだったが、なぜかお風呂だけは石炭で沸かしていた。

お風呂を沸かすことは子どもが手伝う家事のひとつ。食事の片づけと並んでとても重要なことだった。石炭に火を点けるには時間がかかるから薪を使う、その薪に着火するために古新聞を使う、毎日のことだからマッチの使い方も手慣れたことだった。必要に応じて石炭をくべていた。翌朝には石炭ガラを取り出して土の上に撒いていた。普段やっていることなので山小屋で石炭ストーブを点けることなど造作もないことだった。

が、自宅外というか外での石油ストーブはその日が初めてだった。

あの日以来、不用意なことはしないと決めたのだった。


薪割も重要な仕事だった。お風呂のかまに入らない大きさだったので斧を使って小さく割っていた。毎日ある仕事ではなかったものの手際よく割っていかないといつまでたっても終わらない。その薪は自宅の外に野積みしていたが、今思うと…恐ろしい。

暖房用の灯油と風呂沸かし用の石炭は街の燃料店から買っていたようだったが、薪はどこから手に入れていたのだろうか?

2021年12月29日 (水)

キタ、ゴーゴー

子どもの頃、我が家のクルマには「北55」と書いてあった。

どんな意味かと聞いてみると、「北」は北見のこと、「55」は普通のクルマことだと説明された覚えがある。と言っても、近所で見かけるクルマはほとんど「北55」だったので、普段の生活でそれ以外を見かけることは無かった。

年に1回、旭川に出かける機会があり、そこで見かけたのは「旭55」や「札55」だった。もしかすると「旭33」や「札33」も見ていたかもしれない。旭川市内で「旭」を見かけるのは自然だったが、「札」を見つけると子どもながらに・・・都会だと思った。


いつだか「北55」というナンバーが話題になったことがある。

「北」って北海道のことですよね~、さすが北海道、スケールが大きい』って、・・・おいおい💦

親類との会話か、テレビ番組での話題か、友だちが話しているのを聞いたのかは定かではないが、これには笑った。あまりにも世間知らずではないかと。

一方で、これをネタにすることもあった。

遠方より親類来る…ことが数えるほどあったのだが、『北55の北の意味って分かる~?、北海道のことなんだよ~』と😃 このネタは結構受けたと記憶しているが、今思うと、子ども相手に受けていてくれたのかもしれない。


その後、「北55」ではなく「北見55」となり、今では3桁となり「北見550」であろうか。

ナンバープレートの歴史を紐解いてみると、分類番号が2桁になる前に地域名がフルネームに移行していたようだが、あくまで順次移行だった模様。移行の順序次第では「北5」⇒「北見5」だったかもしれぬ、…と本日気付いた次第。

ああ、懐かしき「キタ、ゴーゴー」🚗

2021年10月31日 (日)

予約、順番、本人確認

接種予約を終えたのが9月20日、月曜日。

横浜市では基礎自治体としては最多の人口を抱えていることもあり、ワクチン接種の進捗は思わしくなく、それに連動する形で予約もなかなか取れない状況が続いていた。私の年代では8月11日、水曜日から予約開始となっていたが、しばらく様子を見ることにした。9月に入ってから「そろそろ」と思って予約を試みたが今度は空きがない。

第1回は10月3日の日曜日、18時15分に区役所庁舎での接種となった。「蜜な環境を避けるため、予約時間に会場へお越しください」とあり、会場に到着したのがおよそ5分前。入口で予約時間の確認があった。「18時15分です」と伝えると、14番の番号札をもらい席に案内された。

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その時点では、ひとつ前の予約枠の接種時間帯だったが、順調に進んでいる様子だった。

18時15分になり番号札順に受付が開始された。目の前に空席があり気になっていたのだが、案の定、「4番の番号札をお持ちの方はいらっしゃいますか」と担当者。しばらくすると「9番の番号札をお持ちの方は?」となり、私は結果として12番目に繰り上がった。

それはそうとこの短時間で2人も不在とはどういうことだろう。予約は15分単位なので30分や1時間も前に着いていたとはあまり考えられない。何か急用が入ったのか、待ち時間を潰すために外に出たのか。もしかすると18時15分を過ぎてから戻ってきたのかもしれないが、一方通行の順路だったため確かめようもないし、確かめたいとも思わなかった。

受付では接種券と本人確認書類を提示。看護師による体調確認のあと医師の問診。その後、接種ブースに案内された。4つのブースで運用されており、空いたところを担当者が案内するというスタイルだったが、会場レイアウトや順路を工夫すれば案内担当がいなくても良かったのではと正直思った。

接種後の待機時間は15分。その時間が経過したら近くの看護師に声掛けをと説明があったが、実際には看護師側から声をかけられ、体調の確認と書類の説明があった。お礼を伝えて会場を後にした。

その際、気付いたことがひとつ。

入場時の予約確認は口頭のみであったこと。選挙のように台帳が用意されていて確認があるとか、タブレット端末などで予約確認があるかと思ったが何もなかった。このやり方では、事前予約が無くても予約時間を自己申告すれば接種できてしまうではないか。そんな悪知恵を働かせる人はいないと思うが、18時15分に予約しておいて来場時に18時予約と申告すれば早く打てるし、その逆も可能だ。

それとも本人確認の段階で事後的に予約時間も確認していたのだろうか?


3週間後の10月24日の日曜日に2回目の接種、前回とほぼ同じタイミングで到着したと思うが今回の番号札は9番、ちょっと早かったか。・・・、で、今回は目の前の5番の席が空いている。またか😃

今回はちょっとした不手際があり、看護師による体調確認が漏れてしまったため、問診のあとに会場内を右往左往することになった。やはり会場レイアウトをもう少し工夫すれば良いのに、と思った。

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無事に2回目の摂取を終えることができて安堵した。

会場を後にする際、前回思いついた悪知恵を使わなかった自分に気付き、これも安堵した(笑)

2021年8月30日 (月)

ほぼ切れないハサミ

小学1年生から使っているハサミがある

私の記憶が確かならば、小学校入学のお祝いで文房具一式を揃えてもらい、その中にあったはずだ

ハサミ以外の文房具、すなわち、鉛筆や消しゴム、筆箱に至るまで残っているものはすでに無い

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このハサミは切れ味が悪い、というよりほぼ切れない

コピー用紙など少し硬い紙なら指使いで何とか切れるが、例えば新聞紙などではほとんど使い物にならない

100円ショップでいつでも買えるのだから処分して構わないのだが、家の中にはすでにほかのハサミがあるので…捨てなくても構わない

などという理屈で40年、いや45年以上も一緒にいるのだ

 

唯一と言っては言い過ぎだが役立つ場面がある

不要となったクレジットカードを破断するときだ

あれほど厚手でプラスチックでできているものを切るときはハサミに悪影響があるのではと危惧するが、このハサミはむしろ使い勝手が良い

普通に使うと刃と刃が触れ合う点がない、つまり刃が浮き上がっているので紙を切るには工夫が必要だが、厚手のものはむしろ都合が良い

そんなときふと思いついた

刃が浮いているならその隙間を小さくすることはできないか?

このハサミの支点の部分、ネジ留めではなくカシメており、リベットと言うんでしょうか・・・

その部分をハンマーで叩けば締りが良くなるのでは、と淡い期待を抱いて、数回叩いてみた

するとほんのわずかだがハサミとしての機能が復活したような気がする

素人がやりすぎると壊してしまう恐れもあるので、しばらく様子見だ


 

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2021年6月30日 (水)

「(笑)」と「 笑」

初めて電子メールを使ったのが1991年。

当時はインターネットではなくパソコン通信の世界。Nifty Serve や PC-VAN などの閉じた中でのメールのやり取りのみ。パソコン通信を使っている友人・知人はいたものの、むしろパソコン通信を通して知り合いを作っていたような感じだった。

私が使っていたのはPC-9801シリーズのノートパソコン、98でしか表示されない機種依存文字というのがあり、メールのやり取りの際は機種依存文字を使わないというのがルールというかマナーだった。その影響かはわからないが記号を使った絵文字がよく使われていた。
(^^)/
(^^;
(>_<)
(;-;)
などなど。うーん、機種依存文字とは関係ないかな (^^;

一方、感情を伝えるために文末に(笑)、(爆)、(冗)なども多用するようになっていた。
相手によっては絵文字は失礼かもしれないが、(笑)だったら許されるかな、という感覚だったと思う。

そんなこんなでメールでは「文末に(笑)」という習慣が身についてしまっていたため、SNSを使い始めた際も何のためらいもなく「文末に(笑)」を使っていた。メル友がそのままSNSに移行するケースが大半だったので、至極当然な流れだったように思う。メル友は同世代が多かったので特に考えることもなかった。

SNSの利用が増えるにしたがって個人のメールはほぼ無くなっていった。SNSで事足りるという状況だ。

メールと違って、友だちの友だち、あるいは職場の繋がりもあって同世代以外の「友だち」が増えた。メールアドレスだと連絡先の交換となるが、SNS上の友だちだと緩くつながっているだけということもあり、メールよりも気軽だ。相手もそう思っているに違いない。

そんなある日、若手の「友だち」とのやり取りで違和感を覚えたのである。
「●●ですね 笑」とか「そうなんですか笑」という表記。

え、括弧を付け忘れているの?それともわざとやっている?

「文末に(笑)」をする際は、"笑"という感じの前後に括弧を付けるのが当たり前と思い込んでいる世代の人間としてはしばらく悶々とした日々を過ごすことになるが、意を決して聞いたみた。「文末の笑って括弧を付けないの?」

「あ、全然」
「つけないですね~」
「最近は空白も入れなくなりました」

インターネットが登場する前から電子メールを使っていたという自負は…何の意味も持たないことを自覚した瞬間(>_<)

それ以来、相手に応じて「(笑)」と「 笑」を使い分けている自分がいる笑。

2021年6月28日 (月)

東京オリンピックと「空の境地」

宮本武蔵の兵法書『五輪書』を初めて認識したのが、2013年発行の河合達憲著『株の五輪書』を読んでからだ。

ポッドキャストで河合達憲氏の話を聞いていて、この人の本なら読んでみようと思ったのがことの発端。そもそもの『五輪書』は地の巻、水の巻、火の巻、風の巻、空の巻の5巻から成るそうだが、『株の五輪書』は1巻のみ。章立てが5つあり、投資の指南書として5つの指針が記されていたが、結局、一度読んだだけで役に立てることは無かった。

五輪とはこの地、水、火、風、空を指すそうだが、五大とも言うらしい。

あの松本人志氏も『五輪書』をなぞらえていた時期があったそうだ。

五輪の最初の4つ「地、水、火、風」として①漫才、②コント、③大喜利、④トークで一番になると決めていたと話していた。その番組は2021年5月2日(日)放送のフジテレビ系『ボクらの時代』というトーク番組。さだまさし氏、泉谷しげる氏との鼎談の中で「松本人志が嫉妬する芸人」という話題で語られたものだ。

つづけて、「『五輪書』最後の空が調和なんですよね。お笑いで一生懸命やっていても、みんなが面白ければいいじゃないっていう、この場が楽しければいい」とコメントしていた。すなわち「空の境地」に達しているそうだ。話ぶりからして自身で『五輪書』を読んだのかは怪しいと思ったが、『五輪書』を知っているというだけで私にはインパクトがあった次第。

まもなく開催される予定の東京オリンピック。オリンピックを五輪として表記したのは新聞として文字数が削減できるため好都合だったが、そもそもの発想はやはり『五輪書』だったそうだ。

さて、東京五輪は「空の境地」に達するのだろうか。